お墓の向きはどっち向き

 昨夜、某 NHK の海外放送で「今夜も生でさだまさし」を見ていてふと思ったことですが、放送の中で海外に居る日本人の日本に対する思いという事になった時にさだまさしさんはカルフォルニアか何処かの日本人墓地に行った時に「お墓の向きがみんな日本の方を見ているんです。きっと日本に対する思いがそうさせているのですね。」と言っていた。

 海外の日本人墓地は皆そうなのかなあと思いましたが、ふと山崎明子著(文春文庫)の「サンダガン八番娼館」に出てくる記述(290頁)には次のように記されています。

 しかしながら、彼女たちの墓に水をそそぎ終わり、再び上段に登って、無縁からゆきさんの墓や木下クニの墓にも水を手向けようとしたとき、わたしは、そのような甘い思いを微塵に打ち砕かれなくてはならなかった。というのは、無縁からゆきさんの墓をはじめすべての墓が、サンダガン湾を向いて … つまり日本に背を向けて建っているのに気づき、その事実に彼女たちの本心を聴いたように思ったからである。

とある。

 私はこの一節を思い出し私自身のことに置き換えて考えてみたくなった。

 このサンダガン八番娼館では日本は「彼女たちにとってはただ単に幼少期を過ごした場所であり少なからずも心から憩う場所ではなかったのである。」と理解するのですが、女衒(ぜげん)騙されはるか南の国に追いやられ残した家族の為に身を粉にして金を送る日々。そんな中で故郷日本を思いやる気持ちが有ったであろうか … きっと恨んでいたのでしょう。まあこの一節は非常に特殊な例としてあげさせて頂きましたが、

 私がサンダガンからこのセブ島に置き換えて想像して感じるところも、かなりそれに近いものが有るのではないかと表現させて頂きます。はたして今このセブに居る人の中で「ここは俺も場所だ ! 」としっかり日本に帰れる場所を持った人がどのくらい居るのでしょうか ? あまり居ないのではないのではないでしょうか ? それは昨年は10数年来の知人の老人の死に接しましたが、その方が私に生前話していたことと死後知った事実に驚かされたことも今の私の考えに与える影響が大きいと思います。今、セブ島に在住、滞在している人の中でどのくらいの人が死を迎えようとした時に日本に帰って最後を過ごしたいと考えているだろうか … 私はほんの数パーセントの人しか居ないのでは無いかと考えています。私の場合には今のところまだ帰る場所は有りますから、私がそうだという訳では有りませんがね。

 私はたまたま嫁がフィリピン人ですからセブ島で暮らしても別に何も不思議は有りませんが、今セブ島に滞在、移住されている人のどのくらいの人が心底この地は自分に適した最良の地だと思われているでしょうか ? 私はそんなに多くは居ないのでは無いかを勝手に想像します。

 私の場合はその順番が狂わない限り、母親の死後、日本のものは出来るだけ処分して、嫁の国ここセブ島で暮らしたいと考えていますが帰る場所だけは確保しておくつもりです。ですから基本的にはその墓の向きはどちらでも良いのですが、もしもの場合、日本に背を向けなければならない理由など無いのですから出来ることなら日本に向けて建ててもらいたいと思いますがね。フィリピン式だと墓石は建てませんかね ?!? 嫁に「遺言」でもしておきましょうかね。

 まあ死んでからの墓の向きなどは寝付きが悪かったり、寝覚めが悪い訳でもないでしょうから本当はどっちを向いていても良いのですがね。

 どうやらまた「余分なお節介」をしてしまいましたね。

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