絶望と虚無と僕の存在意義

 何とも難しいタイトルの記事が出ていましたのでご紹介したいと思います。私自身とても共感出来る内容でありこのようなことを考えていた時期も今までにあった記憶がある様な気がしてなりません。それはかなり気持ち的に落ち込んでいた何年か前の時期(時代)ではなかったでしょうかねえ。

絶望と虚無と僕の存在意義
「僕はずっとこの会社で同じ作業を繰り返して定年退職まで生きていくのか? 別に僕じゃなくてもいい誰でもできる仕事をして」。それを考えると気が狂いそうになる。だから僕は考えないようにしている。でも考えてしまう。仕事と私生活を割り切る事が出来ない限り、僕は一生悩んでいくのだろう。

恋人ができて結婚して子どもを作って老後を楽しむ人生。確かにそれは楽しいかもしれないし、幸せを感じることかもしれない。その家庭を維持するために仕事をしてお金を稼ぐ。定年退職するまで、人生の半分以上が会社での生活だ。家族を維持するために特に楽しくもない仕事をして生きている。そしてようやく解放された定年退職後、僕の肉体は若者ではないし、正直、人生を謳歌できる年齢ではない。

つらい気持ちで仕事を延々と続け、定年退職でようやく解放されたと思ったら、もう若々しい肉体がない。定年退職後に人生を謳歌している人には申し訳ないけど、僕は20代の今のうちに素晴らしい体験をしておきたい。定年退職まで待てないし、その年までやりたくもない仕事を続けていくのも嫌だ。

誰でもできる単純な仕事を楽しく思えないまま(むしろつらい気分で)、ずっとずっと作業を続けて定年退職を迎えるのか。社会をまわしていくためには「誰でもできる単純な仕事」が重要な事ということは理解している。誰かがやらないといけない。問題はそこじゃない。僕自身がそれをつらいと思うかどうかだ。正直なところ、つらい。

つらいし、つまらないし、ずっとこの仕事を続けていくと思うと気が滅入って頭がおかしくなりそうだ。何万回通勤電車に乗らなければならないのか? 何百万回パソコンのキーボードをたたかなくてはならないのか? 何万回「申し訳ありませんでした」「かしこまりました」を言わなければならないのか? 

同僚の鈴木翔太がストレスで頭がパンクしそうになり、休職届を出して家に引きこもっているらしい。彼にとっての幸せは「会社に行かない事」らしい。僕も頭がパンクしそうだ。僕も会社を休職しようかな。

そんなことを通勤電車に乗りながら思っている。きっと、そんなことは思っても結局は会社にとどまって同じ毎日を過ごすのだろうけど。そんな度胸は僕にないからね。きっと定年退職かリストラで終わりだ。その先はどうなるのかわかんない。考えると怖いから、考えないようにする。

 私的には 何百万回パソコンのキーボードをたたかなくてはならないのか? 何万回「申し訳ありませんでした」「かしこまりました」を言わなければならないのか? … この表現に至ってはとても共感を覚えてしまうのですね !!
皆様はどう感じた事でしょうか … ?!?

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絶望と虚無と僕の存在意義」への1件のフィードバック

  1. セブの黄門様

    若い前途有望の人間が何を言ってる!
    今の仕事に生きがいを感じるまでのめり込んでますか?
    楽な仕事、その人にあった仕事?そんなのはありません。
    今の仕事にに全力投球、自ずと道が開けます。
    高い目標、それに向かって、努力、それにより自ずと道が開けます。
    セブの黄門さまのご託宣ですよ!

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